モントレー モータースポーツ リユニオン 2018 (Rolex Monterey Motorsports Reunion )

“ロレックス・モータースポーツ・リユニオン”は、毎年カリフォルニアのモントレーで開催される、モントレー・カーウィークのメインイベントのひとつです。

ラグナセカ・レースウェイに世界中から歴史的なマシン達とエンスージャストが集い、本格的なレースを繰り広げる夢の3日間。

1974年から続くその長い歴史の中で、日本車がメインテーマとなったのは2018年が初めてのことでした。

モントレー モータースポーツ リユニオンとは

1年以上前のことですが、せっかくなのでご報告いたします。

 カリフォルニア州のちょうど中間に位置するモントレーという街は、PGAツアーでも馴染みの深い名門ゴルフコースが点在する、世界有数の高級リゾートです。太平洋を見下ろす小高い丘が連なり、緑が生い茂る大地には瀟洒な豪邸が建ち並びます。

 そんな自然に恵まれた小さな街が一転、自動車で溢れるときがやってくる、それが“モントレー・カーウィーク”。世界中のセレブリティとエンスージャストたちが数億、数十億円単位のビンテージカーを持ち寄り、お披露目し、走らせ、オークションで売買を楽しむ驚喜(または狂気)に満ちた一週間なのです。そしてその光景をひと目見ようと、これまた世界中から自動車ファンが集う、世界でも最もリッチでホットな夏の祭典と言えるでしょう。

 この会期中はモントレーの各地において30を上回る自動車のイベントが行われます。ポルシェだけのミーティングやフェラーリのみのリユニオンに始まり、RM、グッディング&カンパニー、メカムなどのオークション、ペブルビーチ・コンクールデレガンスは有名どころ。その中でもひときわ観客を魅了するのが“モントレー・モータースポーツ・リユニオン” なのです。コークスクリューの名で知られる高低差15メートルのS字コーナーを持つラグナセカ・レースウェイを舞台に、歴史に名を刻む往年のヴィンテージ・レースカーが現役でバトルを展開するのです。まるでタイムスリップしたような異空間に、懐かしきレーシングサウンドが木霊します。

 

テーマが日本車! 45年目の快挙

 モータースポーツ・リユニオンには毎年テーマが決まっています。初回の1974年こそ何もなかったものの、翌年からはアルファロメオが、その翌年はジャガー、’84年や’94年はフェラーリ、ポルシェ、BMW、シボレー、フォードなど各年の旬や話題に合わせたメインテーマが設けられ、エントリーやベンダーが受け付けられるのです。例えばキャロ・ルシェルビーが亡くなった2012年はコブラといった具合。その年はシェルビー追悼の意を込めて世界中からファンが集まり、盛大な催しとなったことは記憶に新しいところ。

 そして2018年のテーマが何と“NISSAN”だったのです。長いリユニオンの歴史において、アジアの自動車メーカーがメインに選ばれたのは初めてのこと。ゆえにそれほどアメリカ人にとってニッサン&ダットサンは特別な存在であり、モータースポーツを語る上で欠かせないことの表れと言えるでしょう。どんなにインディでホンダが、NASCARではトヨタが活躍しようとも、彼の地で日本車のレースマシンといえば、誰の心にもニッサンが深く刻まれているのです。

 

アメリカにおけるニッサン史

 日本旧車=ニッサン。この公式は日本もアメリカも同じです。ニッサンの歴史はモータースポーツの歴史でもあります。フェアレディZやスカイラインが日本グランプリなどで優秀な成績を収める頃、アメリカでは西海岸のBRE(ブロック・レーシング・エンタープライゼス)と、東海岸のBSR(ボブ・シャープ・レーシング)が、それまで無名に等しかったニッサンの知名度を飛躍的に押し上げていました。

 皮切りは1967年、ボブ・シャープがSPL311を駆りSCCA(スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカ)のFプロダクションでナショナルチャンピオンに輝いたことに端を発します。すると翌’68年、’69年にはBREがジョン・モートンのドライブでSRL311にてDプロダクションのチャンピオンを、続いて240Z(S30Z)に乗り換えCプロダクションで’70年、’71年と2連覇を飾り、代わってボブ・シャープが同じクラスで’72年、’73年のチャンピオンになったのです。因みに当時のSCCA・Cプロダクションといえばライバルはポルシェ911やロータス・エラン、トライアンフTR6、ブラハムといったヨーロッパの強豪揃い。それを蹴散らして毎年優勝を重ねたのだから、ニッサンに対する、いや日本車に対するアメリカ人の意識がどれほど変わったかがうかがい知れるでしょう。

 しかも時はレース戦績が市販車の売り上げに直結した時代。ドラッグレースで勝てばマッスルカーが売れたように、SCCAでの活躍がスポーツカーの売り上げを大きく左右したのです。そんな中S30Zの快進撃は止まることを知らず、様々なチームによって何と1979年まで勝利し続けたのでした。他にもトランザムシリーズでは510がBMWを下して優勝を重ね、B210サニーや610、710ブルーバードも好成績を収めました。

 また、1970年にはSCCAよりも更に高度な改造が許されたIMSA(インターナショナル・モーター・スポーツ・アソシエーション)がスタート。ニッサン勢はこちらにも積極的な参戦を仕掛け、同じように勝利を手にし、活躍は1990年代半ばまで続いたのです。中でもボブ・シャープと並んでニッサンのモータースポーツ・イメージを高めたのがCCR(クレイトン・カニンガム・レーシング)とドライバーのスティーブ・ミレンでした。彼らが走らせた300ZX(Z32)はIMSA最強のGTマシンと恐れられ、’94年にはル・マン24時間とセブリング12時間のダブルタイトルをゲット、走るレジェンドの名声を欲しいがままにしたのです。

 2018年のモータースポーツ・リユニオンはこうしたアメリカにおけるニッサンのヒストリーが凝縮された濃厚な3日間となりました。ページトップの集合写真は中央がBREのピート・ブロック、左がジョン・モートン、そして右がスティーブ・ミレンです。ニッサンと共に伝説を作った彼らと往年のマシンが揃うのも、もしかしたらこれが最後なのかも知れない。まさにこのイベントこそが、伝説でありました。

USニッサン伝説のヒーローたち

ピート・ブロック [ Pete Brock ]

当時史上最年少でGMのデザイナーに抜擢されるなど、早くから才能を開花させたピート・ブロックは、シェルビー・コブラ・デイトナクーペを手がけたことでも知られる。先見の明もあり、不人気だった日本車の秘められた性能に目を付け、’66年にシェルビーを独立すると同時に自身のレースチームBREを設立、日野自動車とレース契約を結んだ。その後ニッサンとパートナーシップを組んでからの活躍はご存じの通り。’68年のダットサン・ロードスターから240Z、510ブルーバードで優秀なマシンを製作し、BREのマシンは’71年までチャンピオンの座を譲らなかった。しかし余りの強さからSCCAがBREに不利なレギュレーション変更を断行。BREは’72年をもって活動を終了する。

 

ジョン・モートン [ John Morton ]

BREが製作したニッサン車で数々のタイトルを総ナメにしたドライバー、ジョン・モートン。彼がレースを始めたのは大学時代、43ドルで購入した1940年式のフォードによるダートトラックレースだった。その後モータースポーツの魅力にドップリとハマったジョンはロータス・スパー7を購入、1963年から本格的なキャリアをスタートさせる。翌年からはジェルビーアメリカン・レーシングチームにてコ・ドライバーを務めるようになり、1968年までの間に実力を伸ばしていった。240Zで2連覇を飾った後はBRE 510に乗り換えてトランザムシリーズで更に2連覇。後にF5000やカンナム、IMSAで活躍し、趣味として映画やCMでのカースタントを務めていたこともある。

 

スティーブ・ミレン [ Steve Millen ]

日本では300ZXでの活躍が余りにも有名だが、それ以前はスタジアムオフロードレースやパイクスピーク・ヒルクライムなどで優勝経験を持つ万能ドライバーだ。パイクスにおいて’96年から4連覇を飾ったロッド・ミレンは兄弟。レッドブルのスポンサードの下、IMSAで活躍し、パイクスを2回制した経験を持つリース・ミレンは甥にあたる。ニッサン系を中心にパフォーマンスパーツを展開するSTILLEN(スティレン)の創業者でもある(現在は引退)。1994年にはニッサン300ZXでル・マンに出場、総合5位(クラス優勝)に導いた立役者だが、その時のチームメイトが上のジョン・モートンだった。セブリング12時間、デイトナ24時間、ル・マン24時間の3大耐久レースを優勝した記録は、まさに伝説に価する。

次回は現地で気になったクルマたちをご紹介します。

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